今回で、3回に渡ったPEC福島TRIPのレポートも完結。
前回の記事は、
福島元気飲み会/ PEC福島TRIP① 2013.7.6
船で福島第一原発沖まで行ってきた / PEC福島TRIP② 2013.7.7
久ノ浜港で下船し、船長ひろくん・藤田さん・遠藤さんが住んでいた富岡町に向かう。
富岡町は原発事故後、全域が警戒区域で入れんかったんやけど、
今年の3月に再編して、3つのエリアに別れたん。
エリアごとの違いはこんな感じ。(上下どちらの画像も富岡町役場HPから転載)
簡単にいうと「富岡町は宿泊は出来ず、入れるところと入れへんところがある」 ってことやね。
バスで向かう道路の脇には、除染した土をいれているだろう黒いトン袋が一面にある場所もいくら土を除いても保管場所が足らんのやろう。
富岡町は、道路の部分はガレキ撤去があったものの、
震災から2年半たった今現在も、建物や車はそのままの状態だ。
至るところにある車。
流された家の2階部分。
陥没したアスファルト。
とみおか駅。海がすぐ近い。
この辺りは、海まで一望できる場所が多いが、
震災前は建物があり、ここまで多くはなかったとのこと。
駅舎は丸々なくなったらしい。電柱が津波の強さを物語る。
線路があった場所とは思えないぐらい草が生い茂っている。
富岡第一小学校。校庭は除染されているようだ。
小学校の門のすぐ手前の溝、写真で見えづらいが、7.53μSv/h 。
いくら校庭を除染しても、至る所にこういうスポットがある。
津波の被害がなかったエリアは、一見普通の住宅地だが、
もちろん線量が高く、人は住んでいない。
帰宅困難区域のバリケード。
「15時までにゲートを出るように」という旨の町内放送が
電柱のスピーカーから流れていた。
イノブタ(?)発見。
取り残された動物や野生動物がたくさんいるという話も更にリアルに。
ダチョウもいるらしい。
奥さんと一つ一つこだわってリフォームした愛着あるお宅の中で、
1部屋1部屋、丁寧に説明を受ける。
未だにローンは払い続けていかなければならない。
家の庭では、22.4μSv/hなんていう箇所も。
家を出た時、
「元通りにして欲しい。それだけ。
ただ、それをどこに言ったらいいのか、、、」
と藤田さんは言った。
少しでも現状を知ってほしいという思いで、いまだ癒えぬ傷口をさらけ出してくれ、
フラッシュバックすることもあるだろうに、生活していた場所に案内してくれ、
たくさん話をしてもらった3人の思いに応えるには、
自分の周りに伝えることからと思い、WEB上に写真のせることなど了承してもらいました。
もし自分の町に何かあった時、
たとえ自分が痛くとも、伝え動く人間であろう。
どんな時でも希望をもって、頼もしい父ちゃんでいよう。
と改めてココロに刻んだ。
ガイドしてくれたひろくん、藤田さん、遠藤さんありがとうございます!
参加した皆もありがとう!
希望者がいれば、また開催したいと思います!